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− 114 −第2章 村落概況発祥登川は方言でヌブンジャーという。登川原、嘉納口原、東原、中川原、後原、西原、前原、赤道原、石久保原、赤水原、八重作原、平田原、福砂原の小字からなる。地名の初出は『絵図郷村帳』で「のぼり川村」と見え、『琉球国由来記』で「登川村」と漢字を宛てている。『中頭郡美里尋常高等小学校 五十周年記念』の「聚落の起源及発達変遷」で字登川に「最初池原から七戸分離して元島(現在地の西方約二千米の池原との間)に移り其処で一部落を建設し約三十年間の生活をして居たが土地狭隘の見地から後公事、風水見である赤嶺親方の呈言に依つて一九六年前現在地を選んだと謂はれて居る。〈中略〉登川といふ名称に就いては池原から行く時は必ず挟まれた川 池原川を渡つて登るから此の名が出来たと古老は謂ふてゐる。住地としての現在の場所は元丘陵山林だつた事が字内の所々に炭焼竈の跡が覗はれ、現在の平原に形造るに至るまでの艱難辛苦が忍ばれる。斯うした努力が今では字民に勤労的精神として根差し産業の発展向上に努力しつヽ有る。蜜柑、山芋等の産がある。元島には元の井(ムトガー)があって現在の拝所となっている。③ 知花(赤道原・白河原・池ノ当)泉川 良彦現況知花は、市域の中央部から東寄りにあり、東側がうるま市に接している。東海岸側の交通の要所となって発達している。中心地の丘陵上に知花グスクがあり、中腹に市指定記念物「鬼大城の墓(夏氏大宗墓碑)」がある。壺屋統合以前の古窯として記念物知花焼窯跡がある。面積は二二○八〇〇〇平方メートル。二〇一四(平成二六)年四月の人口は四、六八八人。一、九五四世帯。発祥知花は方言でチバナという。知花原、東原、弁当原、後原、大石原、西原、当原、池ン当原、城畑原、城下原、和喜川原、福地原、下与那原、上与那原、曲茶原、岩間作原、嶽ノ後原、平田原、鳥口原の小字からなる。『おもろさうし』で「ちはな」と見え、『琉球国高究帳』に「知花村」と見える。『中頭郡美里尋常高等小学校 五十周年記念』の「聚落の起源及発達変遷」で字知花に「知花は最初越来村字大工廻と合して字楚南の西方福地原にあつた。然し後になつて地域の狭いために現在祝殿内の後方に移住したが永い年月の間に著しい発展をして現在の繁栄を観る様になつた。ツナンダ(盛装した美しさに因んで道中の人の呼んだもの)鳥口(現在此の地で珍鳥を飼つた人に会ひ道中その話に花が咲いたのに始る)の名称は此の移住の際に起つたものだと伝へられてゐる。鬼大城や知花焼等の歴史的由緒ある所で学校の所在地であり隣接の松本や赤道屋取と闘牛は名らし物として聞えている。」とある。屋取聚落として、赤道原・白河原・池ン当がある。④ 松本(池ノ当)泉川 良彦現況松本は、市域の中央から東側に位置し、東がうるま市と接している。集落は東西に長く、東側を県道具志川環状線、中心部を国道三二九号、西側を嘉手納線が走っている。旧県道沿線と、交通の要所に発達した集落で、

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