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− 115 −第1節 旧集落北側の知花と連続している。東側のかつての畑地や松林は松本団地となっている。集落内を比謝川が流れている。松本には、市指定記念物「カフンジャー橋」やヒージャーガー・セークガーがある。面積は九四一〇〇〇平方メートル。二〇一四(平成二六)年四月の人口は四、一二一人。一、六三六世帯。発祥松本は方言でマチムトゥという。当原、前原、後原、東原、赤道前原、福比原、池ン当原、竹下原の小字からなる。地名の初出は今のところ『中山傳信録』に見える。『中頭郡美里尋常高等小学校 五十周年記念』の「聚落の起源及発達変遷」で字松本に「最初大村渠村といつて知花城趾の下に七戸程あつた「鬼大城が敵に追はれて知花城趾の洞窟へ隠逃した時、敵は之を十重二十重に囲んで附近の此の民家を残らず壊はして火攻めにし遂に焼殺して仕舞つた。そこで家を壊されて住家を失つた住民は仕方なく其の地を立ち去つて現在地に移りて生活をした。字名の故事として古老の言に依ると其の字義通り、松といふのは永遠に繁茂する其の本だとの意で松本の名称が出来たと。」ある。屋取聚落として池ン当がある。⑤ 西原(中原・池ノ当)泉川 良彦現況西原は、市域の中央から東側に広がり、うるま市に接している。沿線を中心地として東南側に集落、道路沿線に商店が並び商業地として発達している。東側には旧美里村役場があり、西側に比謝川が流れ、松本でその支流、カブンジャ川が流れる。面積は一九一三〇〇〇平方メートル。二〇一四(平成二六)年四月の人口は一一、四七七人。四、一六九世帯。発祥西原は方言でイリバルという。西原、美里原、前原、東原、小城原、加武田又原、平田原、福比原、下小城原、美尻毛原、川ホンザー原、長堂原、塩焼原、耳久志堂原、泉作原、横通原の小字からなる。地名の初出は『絵図郷村帳』で「西原」と見え、『琉球国由来記』でも「西原」であるが『琉球国旧記』では「美里」、戸籍簿によると「一九四六年 西原から美里に変更 昭和弐拾壱年七月参拾日土地の名称変更につき更正」とある。発祥については、『中頭郡美里尋高等小学校 五十周年記念』の「聚落の起源及発達変遷」で字西原に「西原は以前越来間切で現在の越来村字越来村と合して一つの邑を作つて居たが後年に至り二分し一つは南風原邑といつて越来村となり一つは北原邑即ち西原邑となつて美里村に分れた。即ち西原邑が現在の字西原であり、南風原邑が現在の越来村字越来である。村の中心部落として学校の誕生地であり畜産の奨励に於て年二百頭内外の畜牛を県外に移出してゐる。△字西原のことを美里(ンザト)と言つて居る事に就いて 西原の東部美里原といふ原野の名称がある(具志川村中原の附近)其れからして字西原のことを美里といふ様になつた。」とある。⑥ 宮里泉川 良彦現況宮里は、市域の東側に位置する。戦後コザ十字路一帯は交通の要所となり、商業施設を中心に発達してきた。北東側に住宅街が広がりを見せてい

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