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− 116 −第2章 村落概況る。基地の街・コザのベット・タウンとして人口が膨れ上がった。民俗文化財としてビジュルがある。面積は五六四〇〇〇平方メートル。二〇一四(平成二六)年四月の人口は五、九五七人。二、二五二世帯。発祥宮里は方言でナーザトゥという。宮里原、美里田原、和志美原、加納原の小字からなる。『絵図郷村帳』には越来間切の内に「宮里村」と見える。『中頭郡美里尋常高等小学校 五十周年記念』の「聚落の起源及発達変遷」で字宮里に「最初現在地の西北(越来境界)二、三戸宮里の最初として出来、其処から現在地に移つて来たとの事であるが其の理由明らかで無い。最初の地には井戸があつて今尚字民の拝所となつて居る。字の前方は広い田圃を成して砂糖品質の向上と共に水稲の二毛作(段当二石八斗二升坪当七合余の好成績を収めてゐる)に励みつヽある。元家は大元(又ハ御殿川)である。」とある。宮里地域は広く、急速な人口増加もあって、住宅地が広がり、学校や病院の施設整備も進み、大通り沿には商業施設が増加傾向にある。⑦ 古謝(古謝ノ前・津嘉山)泉川 良彦現況古謝は、市域の東側に位置し、北側と東側はうるま市に接し、南東側は中城湾に面している。戦後、泡瀬などから多くの人々が移住し大きな集落を形成していた。主な民俗行事としては、旧暦の毎月一日と一五日には、ムラガーやビジュル・神アシャギ・古謝之殿などをまわって住民の健康と字の発展を祈願し、ムラガーちかくの広場で獅子舞が披露される。文化財としては民俗文化財のビジュルがあり、そこにあるアコウの大木は指定記念物である。著名な民俗文化財である古墓「ジョーミーチャー墓」も所在する。面積は一○一六〇〇〇平方メートル。二〇一四(平成二六)年四月の人口は五、七八二人。二、一〇三世帯。発祥古謝は方言でクジャーという。古謝原、前原、西原、榕原、坂多原、江洲越地原、当原、萱畑原、上原、津嘉山原の小字からなる。地名の初出は『おもろさうし』で「こしやひら」と見え、『琉球国由来記』には「古謝村」と見え、クモコ嶽・古謝之殿があり、祭祀を美里ノロが司った。発祥について『美里村史』によると「北山落城の時北山按司の三男某が妻子と共に難を避けて現越来村クボーの岸窟に隠れて居たが永住の地を求めて今の古謝の西北津嘉山森の麓に移住した〈中略〉それがだんだん東南の平地に降つて人口の増加に伴うて現古謝区となった。日本地名辞典(東恩納寛惇先生執筆)に『古謝はクチヤと同一語源になっておるが津嘉山の旧部落跡は地質がクチヤになっている』と記してある」という。屋取集落に古謝ノ前と津嘉山がある。一九九九(平成一一)年に『古謝誌』を発刊しているので参照されたし。⑧ 桃原泉川 良彦現況桃原は、市域の東側に位置し、宮里・古謝の南の沖積低地に集落を形成している。中城湾に面し、東海岸を始め津堅島を眺望することができる。

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