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− 117 −第1節 旧集落文化財としては、西側丘陵の中腹にあるアシビナー、カーミンスクー・シリーガー(いずれも井戸)それにエイサーが民俗文化財となっている。面積は一八四〇〇〇平方メートル。二〇一四(平成二六)年四月の人口は九〇五人。三二八世帯。発祥桃原は方言でトーバルという。大里・桃原と併称される。前原、黒石原、仲節原、上原の小字からなる。グスク時代の後半(一五世紀頃)の桃原前原遺跡があり、集落発生もグスク時代後半に遡られよう。『琉球国由来記』に「桃原村」と見え、村内に桃原之殿があり、美里ノロが祭祀を司どった。『球陽』に一八〇一年に美里間切桃原村を越来下口原に遷すを推すとの記録が見える。『美里村史』によると、桃原はもと大里の南西、ノバル(野原か?)という丘陵地にあったという。その昔、その一帯が大きな地滑りに見舞われ部落は崩壊、再興の余地もないほどだった。そこで山原に移住することになったが、大里部落が隣部落のよしみで、現在地を提供、桃原の人たちが移り住んだという。住宅地は閑静なたたずまいを呈し、緑豊かな環境に恵まれる。西側丘陵の中腹に拝所アシビナーがあり、区民に親しまれ憩いの場となっている。沖縄市が誕生した折、北谷町と接する「南桃原」との兼ね合いから自治会名を「東桃原」と改めた。⑨ 大里(桑江小・森田)泉川 良彦現況大里は、市域の南東側、沖積低地に位置し、宮里・照屋・高原・泡瀬三区・桃原に接している。集落は丘陵東縁の崖下に立地し、東側の海岸低地に耕地が広がる。指定記念物としてエーヤマ遺跡がある。伝統行事として、ウマチー・アブシバレー・綱引き・ウンサク・エイサー・獅子舞・旗スガシー・菊酒等がある。面積は七六七〇〇〇平方メートル。二〇一四(平成二六)年四月の人口は三、九六七人。一、六五六世帯。発祥大里は方言でウフザトゥといい、大里・桃原と併称される。広増原、後原、火立原、野原の小字からなる。グスク時代の後半(一五世紀頃)の大里エーヤマ遺跡がある。『絵図郷村帳』『琉球国高究帳』に「大里村」と見える。集落の西側上方にタキウガン・殿・ウフガーなどの拝所が集中し、エーヤマと呼ばれる元島がある。屋取集落に桑江小・森田があった。現在、公民館西側傾斜地や東部土地改良区域に広大な農耕地があり、将来街づくりで発展する地域として期待されている。発祥について『沖縄市水道三十年史』に「大里集落の創始者は大里按司の三男某で、名称も島尻方大里間切に由来するといわれる。南山の系統に属し現在でも島尻方面から公民館にある祭祀壇への参詣者が絶えない。集落西北方の丘陵中腹にあるエー山は、『神の御物(うえーもん)である山』という意で、人々の信仰する御嶽である。またエー山は集落の発祥の場であったが、地盤が弱く地滑りに悩まされ、農耕地にも遠かったので東側の現在地に一軒あるいは二軒というふうに漸次移動したという。」と伝承される。

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