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− 118 −第2章 村落概況⑩ 高原(内間・天理教ノ前)泉川 良彦現況高原は、市域の南東側に位置し、大里南の沖積低地に集落を形成している。国道三二九号を挟んで東西に細長く商業地を形成しており、西側は公民館を中心に集落地となっている。一九七九(昭和五四)年に西部の丘陵上に県営高原団地が建設され人口が急増した。文化財の記念物として満喜世遺跡(マンジュ遺跡)がある。民俗文化財としては、イーヌカー(ヌミミジガー)・ウブガー・シードゥーモー等の拝井や拝所、そしてエイサーがある。面積は一五五九〇〇〇平方メートル。二〇一四(平成二六)年四月の人口は八、二七八人。三、二三〇世帯。発祥高原は方言でタキバルという。高原、西原、前原、仲野原、下原、南之原、後原、上原、呉屋原の小字からなる。満喜世遺跡はグスク時代の後半(一五世紀頃)に比定されている。『絵図郷村帳』で越来間切「たけはる村」と見え、『琉球国由来記』以降は「高原村」である。その『由来記』によると、村内には高原之殿があり美里ノロが祭祀を司っている。『里積記』では嵩原・真喜世二村が併記されている。屋取集落として内間・天理教ノ前及び泡瀬があるが、泡瀬は一九〇三年に独立、行政字となった。発祥については、『美里村史』に「昔満喜世と称する部落が高原の南にあったが後高原に合併して廃村となった現に高原部落内には高原屋、満喜世の屋と称する旧部落の名称をしのばせる家がある」としている。近年、東地域の土地区画整理事業を終え、住宅地・商業地・公園地域と住環境も良くなり、アパートマンションが建ち、年々人口も増加している。⑪ 比屋根(奥武小・天理教ノ前)泉川 良彦現況比屋根は、市域の南東側に位置する。東側が中城湾に面し、南東側と北西側は北中城村に接している。与儀の北側、沖積低地に集落を形成、隣の与儀村とともに与儀・比屋根と併称される。中心地を国道三二九号が走り、国道を挟んで集落東側は中城湾岸の低地、西側は丘陵斜面に多く形成している。その丘陵地一帯は米軍人向けの家族用住宅が多く建っていた。東側の米軍泡瀬通信施設跡地は一九八七(昭和六二)年海邦国体の主会場となった県営総合運動公園が建設されている。文化財の記念物としては比屋根遺跡があり、東海岸には野鳥やマングローブが見られる。民俗文化財として魚垣、エイサー、獅子舞がある。面積は一六六一〇〇〇平方メートル。二〇一四(平成二六)年四月の人口は五、九二二人。二、三七六世帯。発祥比屋根は方言でヒャーグンという。比屋根原、雨田利原、前原、加那波原、浜原、折口原、下口原、東原、橋川原、西原、上原の小字からなる。与儀と同様に集落一帯はグスク時代初期から近世の遺跡となっている。『おもろさうし』に「ひやごん」と見え、『絵図郷村帳』では越来間切「ひや根村」、『琉球国高究帳』では与儀村と一括され「ひやこん村」、『琉球国由来記』以降「比屋根」と表記するようになった。その由来記に村内にオシアゲ森・小嶽・比屋根之殿・佐久真之殿があり、美里ノロが祭祀を司っ

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