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− 119 −第1節 旧集落たとある。現在、沖縄市比屋根地区土地区画整理事業が進むにつれ、ますます発展を遂げている。農業中心の地域であったが、二〇〇八(平成二〇)年四月に比屋根小学校が開校するなど学園都市化し、人口も増加の一途をたどっている。⑫ 与儀(鏡地)泉川 良彦現況与儀は、市域の南東部に位置し、西と南は北中城村に接している。北に比屋根があり、与儀・比屋根と併称される。文化財の記念物としては与儀遺跡があり、民俗文化財として集落内にヒーゲーシ(石敢当)や石碑が多く見られる。イーヌモー・白殿屋がある。民俗文化財のエイサーや獅子舞が伝わる。また、県指定の有形文化財三線の「久場春殿」がある。面積は二五○三〇〇〇平方メートル。二〇一四(平成二六)年四月の人口は三、一一一人。一、二四五世帯。発祥与儀は方言でユージという。与儀原、後原、下口原、浜原、前原、仲原、大節原、田原、荒久原、の小字からなる。『絵図郷村帳』に「与儀村」と見える。また、『琉球国高究帳』では「与喜・ひやごん村」と併記される。上殿や集落一帯にグスク時代の初期の遺跡である与儀遺跡群があるのでグスク時代に集落の発生を見ている。「虞姓与儀家家譜」に康煕一三(一六七四)年「中村渠」から「与儀」に改姓していることから当村は中村渠とも称していた。『琉球国由来記』によると与儀之嶽二御前、与儀之殿・中尾之殿があり、祭祀は美里ノロが司っていた。戦前は国道三二九号の東に首里那覇方面から移り住んだ鏡地屋取(九戸)があった。与儀地域には県立総合教育センターや県総合運動公園等も立地しており、環境的に恵まれた地域である。⑬ 泡瀬泉川 良彦現況泡瀬は、市域の南東側の端に位置し、中城湾に突き出た半島状をつくり、さらに昭和三八年に約三○万平方メートルを埋め立てた干拓地からなる。半島北岸に泡瀬漁港があり関連施設は終日賑わいを見せている。半島の先端部には泡瀬通信施設があったが、一九七七(昭和五二)年に大部分が返還され、その跡地に海邦国体の主会場となった県総合運動公園が建設された。県指定民俗文化財「京太郎」は有名で、市指定民俗文化財のビジュルは多くの参拝者を集めている。面積は一七二〇〇〇〇平方メートル。二〇一四(平成二六)年四月の人口(泡瀬、泡瀬第一〜第三)は一五、六一八人。六、〇〇一世帯。発祥泡瀬は方言でアーシという。西泡瀬原、東泡瀬原、後原、中原、曲原、東原、前原、黒瀬原、北泡瀬原、北泡瀬原、漁業組合からなる。「正保国絵図」に「あせ嶋」と記され、隔海の無人島として描かれている。この「あわせ小離」が次第に砂が堆積し陸地化してきたという。泡瀬で

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