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− 105 −第1節 旧集落脚注*宇久田郷友会『宇久田誌』二〇一三年一月。一六、二一、二二頁*東恩納寛惇『南島風土記』一九六四年一二月再版。三六一頁*沖縄風土記刊行会 『沖縄風土記全集』第三巻 コザ市編 一九六八年一月。一〇五頁*沖縄タイムス社「基地に消えた古里2 沖縄市・旧字宇久田 地料財源に活動継続 心のおり所・拝所建て替え」『沖縄タイムス』一九八六年四月一〇日号*角川書店『角川日本地名大辞典』四七 沖縄県、一九八六年七月。七九九、一八六、二七七、三五〇、一〇五四、一一六二頁*大工廻郷友会『大工廻誌〜基地に消えた古里〜』二〇〇九年九月。三四頁*沖縄市教育委員会『白川屋取集落』沖縄市文化財調査報告書第七集、一九八五年三月。三三頁*沖縄市役所「日本人 大字別世帯・人口集計」二〇一四年七月三一日現在*沖縄市役所「行政区別人口統計表」二〇一四年七月三一日*沖縄市教育委員会『沖縄市史』第二巻 文献資料にみる歴史 一九八四年三月。一四一頁④ 嘉良川宮里 実雄現況市の中部に位置し、北側で白川、東側で八重島・美里・中央、南側で上地、西側で森根と接する。沖縄戦後、米軍基地内となり、住民はいない。東側の八重島、中央とは県道沖縄環状線、沖縄自動車道を境にし、八重島公園の向かい側である。嘉良川原の他、六つの小字がある。現在、行政区(自治会)としてはない。発祥カラカーという。嘉良川は旧越来間切に属し、越来村、コザ村、コザ市を経て、現在に至る。明治期に移り住んできた人達でできた屋取集落で、東嘉良川、西バシクブー、白河(川)、カニンチー、竹ノ花の各屋取が嘉良川として一九一七(大正六)年に行政区として独立した。屋取が多くいた小字嘉良川原からの命名であろうか。地籍は分かれることなく、越来、上地、大工廻の3つの地籍がある。一九〇一(明治三四)年に上地、宇久田、大工廻を結ぶ線、上地、白川を結ぶ線が新設され、交通の便が良くなった。現在の県道20号線にあたる。森根は一九四〇(昭和一五)年、字として独立するが、森根には、角チヌ石シア東ガリ原バルの他五つの小字がある。沖縄戦後、米軍基地となり、住民はいない。現在は郷友会をつくり、親睦を深めている。脚注*角川書店『角川日本地名大辞典』四七 沖縄県、一九八六年七月。八〇〇、八〇二、二七七、一〇五四、一一六二頁*沖縄風土記刊行会『沖縄風土記全集』第三巻コザ市編、一九六八年一月、一〇四頁*崎原恒新『私たちの沖縄市─みに事典─』一九九一年八月。一七頁*沖縄市教育委員会『白川屋取集落』(沖縄市文化財調査報告書第七集、一九八五年三月。三三頁*田里友哲『論集 沖縄の集落研究』離宇宙社、一九八三年三月。七三頁*沖縄市役所「日本人 大字別世帯・人口集計」二〇一四年七月三一日現在*沖縄市役所「行政区別人口統計表」二〇一四年七月三一日

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